ぐずぐずかんがえる。

 
そろそろ改正、かな。
改正臓器移植法案、厚労相「審議速めて」(読売新聞 2008.4.26)

読売新聞連載『移植医療を問う』(2006.12)

(1)「実験」と「倫理」の間で

(2)ドナー保護不十分

(3)脳死判定に危うさ

(4)臓器確保 米では優先

(5)医師と患者 閉鎖的関係

(6)脳死診断 腎摘出でも

[解説]子どもの脳死診断(読売新聞 2007.12.18)


ドナーを増やすためだけでなくて乳幼児の患者のために法改正は考えられているのですが、私は子どもの臓器提供については考えをまとめられないでいます。移植は本来、免疫寛容の可能性が高い乳幼児にこそ使われるべき医療であって、「国内でつらい決断をせずに済ませているところがある」と河野議員がいうのにはそうだなと思うし*1、「国民の選択肢が、他国の提供者をあてにするか、死を待つかの2つしかないという状況は許されない」という批判*2にも答えられない、でも親が承諾すればよいとも言えません…


有力なのはたぶんA案。*3生体間移植の制限とドナー保護のための改正なら必要と思うけれど、*4NOの意思表示をしなければドナー候補とみなすというのは、自発的な善意によって成り立っている、というぎりぎりの正当性をうしなってしまわないのかと思う…

生体間移植は減らしたい、そのために脳死状態での提供を増やしたい、というのは、わかるのだけれども、世論調査によれば*5臓器移植について十分な情報が得られていると思うかどうかに「そう思う」と答えたひとはたった12.4%(「そう思う」2.8%、「どちらかというとそう思う」9.7%)、「そう思わない」は80.5%(「あまりそう思わない」46.3%、「そう思わない」34.2%)ですよ。生体間移植や渡航移植を減らすためには脳死の人からの提供が増えなければならない、でも、そのために拒否していなければ家族の承諾があれば臓器を摘出できるようにするよりも、まず問題なのはここじゃないですか??
脳死と判定されれば提供してもいいと考えているひとは少しずつ増えています、だけどドナーカードは普及しない。*6イメージだけが散発的に広報されて、プラス面もマイナスも、とにかく具体的な情報に触れる機会があまりに少ない。ググレカスでは不十分です、だってカードを持とうという気になれるほど実感できないでしょうもの。比べてアメリカは、移植促進政策を進めるHRSA(保健資源サービス庁)の広報予算は年間約35億円、日本の移植ネットにあたるUNOS(全米臓器配分ネットワーク)へも予算配分されて、全米に張り巡らした58のOPO(地域臓器調達機関)にはそれぞれ数十人単位のコーディネーターが配置されているそうです。「伸びきったゴム」と揶揄されるアメリカのようにできるとも、したいとも思わないし、年間8000人という突出した提供は皆保険がないことも大きいのでしょう。*7それでも法律を改正すればすむわけでは、ぜんぜんないと思います。情報は足りてはいないけど助かるひとがいるのだから反対しないひとが多いという状況で法律が変われば、NOと決める判断材料はますます出されなくなってしまうのじゃないかな。*8YESでなくてもかまわないというのは、いままでのように臓器移植に関心を持ってほしいというあり方から、極端を言えば、どうぞ無関心でいてくださいというあり方に変わるということではないかな。





長期脳死は少なくないなら脳死は死といえないというひとも、長期の生存が可能だからこそ判定されれば提供するというひともいるでしょうし、どちらが正しいのか私にはわからないし、ましてどちらかを押し付けることはできない。だけど、移植医療に自分はどう向き合うかを考えてみませんか、と問うまでは、その問いに自分なりの答えを探してみるのは人工呼吸器のある国で生きて死ぬ作法のひとつだとして許されていいと思う。ただ、大人がそれをしないうちから、子どもであれば親が提供を決めていいと私には言えない。
脳死は死だというのも、死ではないが回復可能性がないのだから死と同じだというのにも、その先に助かるひとがいるのだからいいじゃないかというのにも、なんの迷いもなくそうだと私は言ってしまえない。私は私なりの理由があってカードをもってるけれど、YESともNOとも答えられないひともきっといて、それはそれでいい、と思うけれど、でも法改正されればもうそんな迷いはないことになる。脳死移植については、薬剤や技術の進歩でレシピエントもドナーも適応が拡大しうるでしょう。だから慎重でなければいけないと思うのです。そのためには迷うということをすぱすぱ切り捨てることに賛成できない。
それしか助けることができないなら移植を望む、でも自分の子から摘出するのにはためらうかもしれないと思うのを、私にはダブスタと非難できない。移植は医療行為なのだから、医学的に正しさがあればそれでいいとも割り切れない。「いのちの贈り物」というコピーをきれいごととも笑えない。




献体は、制限しなければいけないほど登録が増えているそうです。*9
死生観が変わったのかどうか私にはわかりません。だれかの役に立ちたいという想いは尊いけれど、死を受容するためにだれかの役に立つことが求められるのは、ひとのあるいは社会の脆さでも危うさでもある気がする。でも、いけいけの正義感とかじゃあなくて、そんな弱さが病むだれかを助ける力になるのだとしたら、悪いことじゃないなとも思う。

*1:ドナーとなる子どもの年齢制限をなくしたのは、日本ではダメなので海外に移植手術を受けに行く現状はいいのかということ。ある意味、国内でつらい決断をせずに済ませているところがある。判断できない年齢の子は意思が分からないのだから家族が判断する。ただし、虐待を受けた子がドナーにならないよう政府が必要な措置を取ることを付則として付けた。(東京新聞 2006.12.22 臓器移植法改正案なぜ『店ざらし』?)

*2:日本の移植の現状批判 国際学会の次期理事長(US FrontLine 2007.11.23)

*3:[解説]臓器移植法 二つの改正案(読売新聞 2006.4.7)

*4:生体肝ドナー 3.5%が重い合併症(読売新聞 2007.7.7)、生体移植の規制強化へ 民主・社民有志が改正案(読売新聞 2007.12.12)

*5:臓器移植に関する世論調査(2006.11)

*6:「臓器提供したい」4割超す(読売新聞 2007.1.21)、臓器提供の意思示すカード、署名鈍る…移植ネット調べ(読売新聞 2007.1.10)

*7:だからといって、ターミナルの領域でDPCが強化されたり自由診療になったとしたら、ふわふわした倫理観など簡単に吹き飛ぶ、と言われても、それはドナーを増やすことに利用するのはおかしい。

*8:このため、近年の状況は見えにくいが、川崎医大岡山県)で行われた22例目では、検証会議が「問題ない」としたものの、遺族が「救急診療のミスで脳死になった」と2年前に同医大を提訴した。30例目の日本医大第二病院(川崎市)は、必須項目の頭部CT撮影をしていなかった。日本弁護士連合会は今年3月の意見書で「検証会議は人選が移植推進派に偏り、検証の内容も、情報公開も不十分だ」と批判した。(移植医療を問う(3)脳死判定に危うさ 読売新聞 2006.12.15)

*9:献体運動にかかわってきた順天堂大の坂井建雄教授は、日本人の死に対する意識が変わったことが大きいと分析する。「通夜から納骨に至るまで、何日もかかる一連の儀式を見届けることで、日本人は肉親の死を受け入れてきた。でも、医学の進歩に役立つという意識を持つことで、多くの人が死に理性的に対処できるようになったのでは」と話す。(読売新聞 2008.3.21 死生観に変化、献体急増21万6千人…登録制限も)