鉄格子

 
認定申請は12月末までに、熊本、鹿児島、新潟で5828人、新保健手帳を受け取った方は14759人になりました。

与党救済策でチッソ会長 あらためて拒否強調(熊本日日新聞 2008.1.8)

最後に、同社の受け入れ拒否姿勢への批判に対し、「事態は当社の努力の限界を超えており、『原因者だから払え』という単純な論理だけで従うわけにいかない。この上は主張すべきは主張することに何らおくすることはない」と結んでいる。

これについて、朝日新聞「私の視点」欄に岩崎日出俊氏が『チッソ、株主より国民に説明責任負え』と題したコラムを書かれています。掲載されてたのは1月23日だけれどブログ*1にはアップされないみたいなので全文コピーさせていただきますです。

水俣病未認定患者の救済問題で、与党プロジェクトチームが決めた一時金給付などの新救済策について、原因企業のチッソが受け入れを拒否している。
その理由について「(95年の政治決着が)全面・最終の解決で、あれ以上考えられない」「会社は株主、従業員、金融機関、取引先の協力で成り立っているが、支払い根拠を明確に説明できない」などと述べているが、株主への説明責任を理由にしているとしたら、おかしな話だ。チッソの経営陣が真に説明責任を負うのはわれわれ国民に対してであって、約3万6千人の株主に対してではないからである。
確かに資本主義の枠組みからすれば、株式会社の経営者は株主総会で選任される取締役によって選ばれ、株主の長期的利益のために経営を行うことを期待されている。これが株式会社のガバナンスの基本形態だ。しかしチッソのように、約20年にもわたって1千億円を超える債務超過になっている会社の「株主の権利」とは、いったい何なのだろうか。
チッソの株主は、少なくとも自分たちが有する経済的価値(会社に対する残余財産の請求権など)はマイナスでしかないことを承知しているはずだ。1千億円を超える債務超過の会社が倒産せずに生き続けているのは、国、熊本県、関係金融機関が協力して資金繰りをつけているからにほかならない。実体的には、チッソを支えて続けているこうした債権者、すなわち国、県、金融機関こそがチッソの真の所有者で、株主であるとも言えよう。
チッソに対する金融支援の仕組みは、熊本県が県債を発行して資金を調達し、チッソに貸し付けるというものだ。そしてこの県債の大半を国が引き受け、しかも国はこの枠組みのもとで「県の財政に迷惑をかけない」との趣旨の閣議決定までしている。言ってみれば、国こそがチッソに対する最大の債権者(与信提供者)であり、これは要するに、われわれ国民のカネのはずだ。
チッソの経営者は、株主価値がマイナスでしかないことを知りながら株式を所有している「表面上の株主」に対する説明責任を気にするよりも、長期、短期合計で約1770億円の貸し付けをしてチッソを支え続けている債権者のことを考えて経営をしなくてはなるまい。そして国(要は国民のこと)こそが、ここでの最大の債権者であることを認識すべきだろう。
本来であれば、こうした債権者がもう少し前面に出て、債務の株式化を行うとか、株式に転換しうる優先株の仕組みを利用するとかして、株主としての姿を現すようにし、チッソ経営陣に対するガバナンスを強化していくべきなのだ。チッソの(陰に隠れた、しかし真の)所有者とも言うべき債務者たちが、原因企業のチッソと必要以上に関連づけられるのを恐れるあまり、チッソに対するガバナンスが利きにくくなっていくのだとしたら、金融支援のスキームそのものが国民の支援を得られなくなってしまうだろう。

「債務の株式化」については検討されているという熊日の記事がありましたが、分社化も含めて反対があるらしいです。ちょっとわかんないけど、複雑になっていくなーとため息でたりします。「被害の全容を把握しようとせず、加害者同士で小手先のカネのやり繰りを検討する姿は異様というほかない。本質的な解決から離れていくだけだ」も、そうだと思うし…

チッソ 未完の決算・原因企業の現在<4>金融支援 問題先送りツケ重く(西日本新聞)

分社化について、論文は「市場経済原則から言えば一定の合理性をもつ」としながらも「チッソの存続自体、市場原理を逸脱した公的支援が前提」と指摘。「道義的責任を有するが故に存続しているチッソの(分社化)構想は、倒錯した企業倫理観を改めて印象づける」と結論づけた。


社内報だけじゃなくてHPにも。最近追加されたみたい。

現在、再び混迷状態が生まれています。その発端は、2004年10月の最高裁判決でした。96年「全面解決」時に、只一つ受入れを拒んだのが、関西訴訟(原告58名)のグループでした。このことは、当時、関係者の全員が十分認識した上で、この少数グループのみは例外として、他はすべて、「最終全面解決」を図ったのでした。従って、最高裁判決を以って、この裁判が終れば、当時の関係者(各対象グループ、国、県、及びチッソ)は、新たな紛争につながるような行動をなすべきでなかったと考えます。確かに最高裁判決は国及び熊本県の責任を認めています。しかし、その責任の中味としては、「賠償額の4分の1について、チッソと連帯して支払え」と言っているのであって、96年の全面解決を否定するようなことは何ら言われていないのです。それにもかかわらず、この合意の基本を無視したような関係者の言動があり、新たな訴訟が提起されるなど、今日の混乱に結びついていることは残念でなりません。

水俣病問題への取り組みについて(チッソHP)

政治決着のあと提訴するのがわるいと言わんばかりですね。補償協定について書かれた部分なんて、水俣病が忘れられていくのに乗じているとしか私には思えないですけど。自主交渉が「交渉と言うにはほど遠いもの」だと言うのなら、のちに公序良俗に反するとされた見舞金契約はどうですか??
ん、こんなこと言うても詮ない。こじれるばかりだ。でも、「混迷状態」なのは政治決着で多くの患者を取り残したから、ではないですか。「最終」でも「全面」でもなかったということだと思います。制度の枠組みは変えられないのなら「当時の関係者」であるチッソも協力しないとは言えないはずです。存続を望んだのは、チッソだけでも行政だけでもないことはわかっています。だけど、このページはひどい。



思い出したのは、1972年1月11日、チッソ本社4階入口に鉄格子が取り付けられた日の、川本輝夫さんの日記。

何か恐ろしく巨大、そして形のない幻に闘いを挑んでいるのではないかとさえ錯覚を起こす。やはり今では、目前の現象にすべてをかける以外に抜け出す手立てはないのだろう。とにかく、毎日毎日を支援してくださった方々の支えを命として闘うより他は生きることはできないのだ。

水俣病誌