「だれも責任を取ろうとしない」

 

このような解決は、本来、わが国の人間関係やそれについての意識には適さない異質のものであるのみならず、そのような裁判によって、それまで不明確・不確定であった権利義務は、明確・確定的なものに転化させられる。そうして、権利義務が明確・確定的でないということによって当事者間の友好的なあるいは「共同体」的な関係が成立しまた維持されているのであるから、右のような訴訟は、いわゆる「黒白を明らかにする」ことによって、この友好的な「共同体」的な関係の基礎を破壊する。だから、伝統的な法意識にとっては、訴訟をおこすということは、相手方に対する公然たる挑戦であり、喧嘩を吹っかけることを意味するのである。

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

 
1969年6月、チッソに損害賠償を求めて熊本地裁に提訴した水俣病患者原告団長は、「今日ただいまから、私たちは、国家権力に対して立ち向かうことになったのでございます」と挨拶しました。チッソ城下町だから、公害だから、という以前に、裁判を起こすこと自体の意味が、いまとは大きくちがってたことをあらためて考えます…
 
 
  
 
 
水俣病公式確認から51年の今年、川上さんが再び提訴。

34年翻弄、いつまで 関西訴訟原告団長提訴(西日本新聞 2007.5.19)

今回の提訴前には、周囲から「裁判までしなくても」と言われた。「正直、自分もそう思った。でも、何のための34年間だったのか。やはり納得できない。私が突破口になれば、みんなが後に続くはず」。そんな思いに突き動かされ、決意したという。

政治決着に応じずに裁判を続けてこられて、行政の責任は最高裁で認められたのに。