見直す

 

原爆症認定基準、首相が緩和表明…被爆者代表と面会(読売新聞 2007.8.5)

裁判では、先月30日の熊本地裁判決を含め、大阪、広島、名古屋、仙台、東京の6地裁で、国の認定基準を否定する判決が出ている。国は熊本以外の5地裁では控訴して争っており、熊本についても控訴を検討中だ。

原爆症認定基準、見直しへ専門家の検討会 柳沢厚労相(朝日新聞 2007.8.6)

 
昨年8月の広島地裁の判決が出たときには、厚労省幹部の発言として「国は十分やるべきことをやっている。判決がどうあれ、科学的で公平な現在のシステムを見直す必要は全くない」との記事がありました。被爆者手帳があれば医療費は無料で特定の病気には健康管理手当が支給されていて「そこまでしなくても、医療費や健康手当で必要なカネは出している」。
続く敗訴を受けて国がしたことは厚労省などの訴訟担当部門の増員でした。

じん肺 薬害 原爆症 7連敗の国 懲りぬ抵抗 訴訟担当を増員、強化(西日本新聞 2006.10.25)
九州とかかわりが深い原爆症認定や薬害肝炎、トンネルじん肺をめぐる訴訟で、国の責任を認める判決が続く中、政府が厚労省などの訴訟担当部門の増員、強化を図っていることが分かった。相次ぐ集団訴訟への対応が追いつかず、国敗訴につながっているとの判断からだ。国側の“巻き返し”で裁判の長期化も予想され、3訴訟の原告側は共闘会議を設置。国の動きには「被害者への誠意や早期解決の姿勢が全くない」と批判している。3訴訟では、今年5月以降、国の原爆症基準や血液製剤の規制、じん肺対策をめぐり各地の地裁が不当性を認定。一部で原告の訴えを退けた例もあるものの、全体として国は「7連敗」を続け、いずれも控訴している。
こうした中、厚労省は9月の人事で、従来の訟務専門官3人に加え、裁判事務を統括する訟務企画官(1人)を新設。訴訟を抱える部署の連絡調整を行う係も新たに設置した。訴訟への対応能力を高めることで「国側の主張をより裁判所に理解してもらうため」(官房総務課)としている。国を被告とした訴訟が年間8000件以上にのぼる中、国側代理人として訴訟を扱う法務省も来年度から、担当事務官を15人増の375人とする予定。民間弁護士に代理人を依頼する際の報酬も増額して訴訟対応を強化するなど、抜本的な対策案も浮上している。
一方、3訴訟の原告・弁護団は、救済要請の面会を省庁が拒むケースも多いことから、国側の動きに反発。原爆症認定の却下処分取り消しを求め熊本地裁集団訴訟を進める中山高光さん(77)=熊本市=は「国は面会もせず、控訴するばかりで、敗訴を振り返ろうともしない」と訴える。原告らは弁護団が一部重なることもあり今月初めに共闘会議を結成。国会議員らに救済を働き掛ける取り組みを始めた。薬害肝炎九州訴訟原告の山口美智子さん(50)=福岡市=は「長引けば病状が悪化し裁判を争う体力すらなくなる人もいる。国民の命や健康を守る省なのに全く分かっていない。共に活動して体質を変えたい」と話している。

 
 

「水俣病に影響なし」 若林環境相、原爆症基準見直しで(熊本日日新聞 2007.8.7)

若林正俊環境相は七日の閣議後会見で、原爆症の認定基準の見直しに向けた動きに対し、「水俣病問題とは性質が違い、水俣病行政に影響を及ぼすようなことはない」との認識を示した。原爆症認定をめぐっては、安倍晋三首相が五日、認定基準見直しの検討を表明。厚生労働省が専門家による検討会設置に動き出した。
若林環境相は「原爆症水俣病の問題は別ものであり、それぞれの性質によって対応が決められる。互いに影響し合うものではない」と強調。その上で、「水俣病の紛争解決、被害者救済については、被害実態調査の結果を分析した上で対処するという方針が決まっている。水俣病認定基準を見直す、見直さないという議論に及ぶことはない」と述べた。

たとえ「別もの」でも、「被爆者の声を無視して見直し作業をやるのは適切ではない」て、水俣病でもおなじじゃないの、と思う。
 
 

治安維持法

 

戦後の日本社会は、自らの手で治安維持法体制を解体したわけでなく、また、自らの手で人権侵害責任者の裁きをおこなったわけでもない。その意味では、戦後の日本社会は治安維持法体制なるものを、そんなにつよく断罪するつもりはなく、むしろ、歴史の必然として受容する気配さえあるのではないかと思われるふしがある。
戦後日本が、治安維持法体制に対し存外に寛大であったという印象を与える出来事の一つは、戦前一貫して思想係検事のリーダーたる役割を果たしてきた池田克の、最高裁判所裁判官への就任であった。池田は、平田勲らとともに大正末、治安維持法が制定された当初からの、したがって最初の思想専門家として、東京地検大審院の検事局または本省で、思想検察の成立・発展のため、辣腕を振った。じつに、池田を抜きにして戦前の治安維持法の運用を語ることができない、といっていいくらいである。
治安維持法小史 (岩波現代文庫)

大正てどんな時代だったかしらん、知らないので(すみませんです)、『大正デモクラシー―シリーズ日本近現代史〈4〉 (岩波新書)』読みます。

大正デモクラシーとは、その出発点においては、「帝国」に成り上がった明治日本が、従来の構造では対応できなくなったことに由来して起こる運動の総体となっている。さまざまな階層により、旧来の社会構造と秩序に抵抗して展開された運動である。
同時に、デモクラシーの主体をめぐっての込み入った事態が示されてもいる。すなわち、旦那衆の集会参加や運動も、「国民」(あるいは「市民」「民衆」)を標榜し、批判的主体としての「国民」を提示しようとしている。
大正デモクラシー―シリーズ日本近現代史〈4〉 (岩波新書)

おもしろそうです。夏休みはまだ長い(笑)
 
 
めも。1941年の改正について…

「国体変革」も「国体拒否」も五十歩百歩ではないか、という反論があるかもしれない。
たしかに歯止めのきかなくなった国家権力の作用面からみれば、どんな文言が法律上もちいられようと、それとおかまいなく権力行使はくりひろげられる、といえないことはないからである。それにもかかわらず、私は「国体否定」という法文の異常さ・異例さを強調しておきたい。まったく観念の世界にとどまる人間の精神活動そのものに標的を合わせているのである。ここで「国体」という魔物のことは、とやかくいうまい。それにしても、「否定」すなわち「承認しないこと」が、罪だというのだから、おそろしいではないか。私の言いたいことは、このような文言を臆面もなく、天下の法律のなかに取り入れることによって、権力自身がますます歯止めを「否定」する姿勢を明らかにしたということである。
治安維持法小史 (岩波現代文庫)

 

ぽっかり浮雲

 
こんなときぐらい、と言う。
ひとりでやってるなんて思ったことないし助けてもらってなんとか維持できてるけど、それはいまだけのことじゃない。迷惑かけて生きてきたし、いまさらかっこつける気もない。いまなら治療中ではあっても、ぐずぐず言いながらてきとーにやりすごせる体力はあるってだけこと。
辛抱しなきゃしょーがないことはそうするだけで、できないことはさっさとやらない。なるべく過剰に甘えないようにはしたいけど必要なのに遠慮しなきゃと思ってるつもりないしべつにやせ我慢してるのでもない。
そんなじゃもたない、緊張は長く続かないことならよく見てきたもの。そして、そんなふうにできる環境がどれほど恵まれているかも知ってる。
だから大事にしたいじゃない。こんなときだからこそ、と思うのに。

 
  
 
 
「私が、したい」て言う。
私であってもそうかもしれない。だけど、してほしいことはほかにあるって、どうしたらわかってもらえるだろ…