街に雨が降るように

 

チッソ後藤会長・会見要旨(熊本日日新聞 2007.11.20)

「解決はしたい。だが不用意な解決なら、あの地域はどうなるだろうか。また十年たって年とった人が、手がしびれるからといってお金が欲しくなることもありえる」
―その発言の意図は。
「(救済策による)一定の判断で、そうなっては困る。いつまでも水銀の影響が残っているはずはないだろう。本当の見分けが付かないのがこの問題の苦しいところ。九六年に片付いた事が急に(申請者が)増えたというのは、あいまいな救済がなされたということ」

なんで、こんなことが言えますか??
 
 
   
 
 
ふと、わたしのこころに雨がふる、を思い出す。今日は乾燥注意報、ひとりになったら本を読む。ふん。

キリスト教とは「個人的出合い」を重視する宗教だと言うことができる。イエスの時代にイエスに出合ったものは、神に出合ったのであり、イエスに愛を示したものは、神を愛したのである。聖書はこのことを通じて、「人との出合い」は「神との出合い」である可能性を示唆している、と解釈するのがキリスト教なのである。
ところで、「人と出合う」とき、人は「顔を合わせる」。したがって「ペルソナ」という顔をとらえることばをもって、神の具体化と見るキリスト教とは、人間に、個人的出合いは神との出合いでありうる、というメッセージを伝えている。このメッセージが哲学的施策によって受け止められて、ヨーロッパで「個の思想化」が可能になったのである。

「ただ一人」生きる思想 (ちくま新書)

よくわからなかったけど。
私が尊厳という言葉が飲み込めないでいるのは、思想を勉強したり信仰をもったりしていないからかな…
 
 
 

拒否

 
全面解決めど立っていない 救済策拒否の理由 チッソ(熊本日日新聞 2007.11.17)

水俣病 新保健手帳取り消しも 与党PT方針 新救済策対象外なら(西日本新聞 2007.11.1)

新保険手帳交付は民間医師の診断で一定の神経症状があれば認められたが、新救済策の対象判断は公的機関の診断だけを採用する方針。同連合は「公的診断は厳しい」とみており、新救済策の対象外とされた上、新保健手帳も失うケースが予想され、医療費の自己負担を恐れて新救済策申請を断念する被害者が出ることも考えられるとしている。佐々木会長は「手帳交付者を脅すような手法。新救済策は被害者の封じ込め策だ」と批判した。

救済策でチッソ負担拒否を明言 園田氏「説得続ける」(熊本日日新聞 2007.11.18)

園田座長は記者団に対し、「チッソとはこれまで何度も話し合ってきており、十九日に(拒否を表明する)会見を開くことも聞いている」とした上で、「チッソが支払いをOKしないと新救済策は実行できないが、説得が難しいという話はこれまでも各団体に伝えており、変化があったわけではない」と説明。「訴訟派団体が、ある程度前向きになってからチッソを説得するしかない」と語った。

政治決着での負担を大きく免除することができたのは、救済の対象が“未認定”患者だったから。でも、それ以前に、賠償金支払いを支援するために熊本県が発行した“患者県債”を引き受けてきたのは国だったし、その返済期限が来れば金融支援してきたのも国。汚染者負担の原則というけれど、返済が必要な負債として残ってはいるけれど、県債で、あるいは地域振興事業を通じて、行政責任が判決で認められるまえからも、これまで支払ってきたのはぶっちゃけ国じゃないですか。株主とか経営責任とかが出てくるのはわかってたことでしょう。チッソが支払いをOKするしないに左右されない救済はできないのかな。


原因企業には賠償能力がなかった。だから患者は切り捨てるしかなかった。政治決着の後、関西訴訟でチッソは上告していない、最高裁まで患者が闘わなければいけなかったのは国と県だった。
公害の被害者を未認定のまま救済しなければいけない矛盾を先送りしてきたツケを払わなければいけないのは国、というのは乱暴なのかな。汚染者負担の原則なんて、とっくに破綻してると思う。
こんなことで訴訟の原告がわるいように言われたりするの、すごくいや。

帰ろ帰ろよ茱萸原わけて

 
かちん、と力が入るようになって、肝機能が戻ってきているのがわかります。
リカバリしてる実感があって、身体はほんとに正直だなって思う。
ダメージは大きかったけれど効きはあまりよくなかったとか、そゆうのは、つぎになにかあってから思い出せばいいこと。定期的に診察を受けていれば、そのときまで忘れてていいの(笑)
 
 
  
 
 
術後2ヶ月。私はもうだいじょうぶ。
 

最後の救済

 
水俣病救済策 一時金150万円案了承 与党PT 保健手帳は打ち切り(西日本新聞 2007.10.26)

認定申請は5600人を、新保健手帳の交付は13000人を超えてる。
申請すれば、水俣病と認定されたりすれば、子どもの結婚や就職に差し障るからと黙ってきて、歳とって、今度はかさむ治療費で子どもに迷惑かけるからと申請を決めたりするという。棄却を決める機能しか果たせない認定審査会の替わりとして出される救済でしかなくても、療養費も決まって、せめてよかったな…

芦北の会 新救済策を正式承諾 与党PTに文書提出(熊本日日新聞 2007.10.29)

承諾書には、「裁判係争中の人も救済策を選びやすいように行政責任をはっきり出してほしい」などとする会員の意見も付記。村上会長は園田氏との会談後、「救済対象は公的診断で判定するということだが、今回が最後の救済。家族の多くが認定されているなど疫学条件も考慮してほしいと要望した」と述べた。

95年と、最高裁判決がでている今回とでおなじようなやり方しかできないのは、「血の雨が降る」からか、チッソが時効を主張しているからか、知らんぷりしてきたままでいいと私たちが考えているからか、司法で認定された患者がいる事実を、どうして無視しつづけなくてはいけないんだろう。
これで充分というひとも、不満はあるがしかたないというひとも納得できないひとも、いて当然じゃないの。健康被害は一様ではないのだから。多くの被害者を切り捨ててきたのだから。裁判が長引くのはわかってるし、「中途半端に終わらせないために闘っていきたい」と言ってしまえば、もう医療費さえ受け取れないなら、ひどい。



最高裁判決が「最後のチャンス」と思った。でもかなわないままだ。
 
 

よろしいか

 
先生が訊いてくれる。
あんまりよろしかないのでお返事しないことに、なんの説得力もない(笑)
顔がめちゃめちゃいやだと言ってる、と先生は笑ってる。
点滴に比べればぜんぜんハードなわけでも、よろしくなくてもしなくちゃいけないのもわかってるけどいやなだけ。
 
 
   
 
点滴しているあいだは体重減らすなと言われたし、食べなきゃ手術できないと言われて術後は傷が癒えないと叱られたし、だからオピオイド系の鎮痛剤もほんとはだめな追加オーダーしてくれた。
わかるから押し込んできたけど、手術がすんで、いまはどうでもいい感じ。
半年、自分で思ってたよりも私は緊張してたかな、そんな感じ。